2015年 03月 29日 ( 1 )

佐藤写真の頃

学生生活を終え、初めて就職したのは「佐藤写真」という会社だった。
本社は当時日比谷だったが、店舗はその殆どが「○○ホテル写真室」という
名前になっていた。最も名の知れたところでは帝国ホテルである。他には、
今もそうなのかは知らないが、全日空とかセンチュリーハイアットとか、
東京ブリンスホテルなどの写真室として営業していた。要は、婚礼写真を
撮影して納品する会社だ。今となっては、デジタルカメラの普及によって
ブライダルフォトはその形態が大きく変わった。しかし当時はフィルムだ。

入社して最初に配属されたのは、都ホテル東京写真室だった。
入ってすぐ、それまで見たこともない大きなカメラを初めて知ることになる。
しかし、当然ながら触らせてなどもらえなかった。助手のまた助手、という
ところから始まるわけで、まず習ったのは写真の仕上げ作業からだった。
やがて撮影をするようになるが、当時は式と宴会の撮影オーダーがあり、
式は5カット、宴会はカット数に応じてアルバムの厚さが異なっていた。
式の撮影には645カメラを使う。押さえでコンパクトを持たされた。
フィルムは1本しか使えない。撮るシーンはもともと決まっているので、
オリジナリティなど全く出せない。問われたのは、とにかく確実性である。
宴会の場合は、35ミリフィルムを3本渡される。これ以上は使えない。
失敗がほとんど許されない、なかなかに過酷な環境だった。
ここで、当時の先輩から教わったのが「撮影の時には左目を開けておけ」
というものだった。左利きにはちょっと厳しいのだが、要は撮影のときに
瞬きしているかを、ファインダーを覗いていないほうの目で確認しろ、
という意味である。これはもう徹底的に叩き込まれたといってもよい。
こうしてこれを会得して、スナップ撮影時には大いなる武器になった。

こうして仕事を覚えてきたころ、上高地帝国ホテルに出張が決まった。
平成元年の9月から11月の閉山まで。まぁここでの生活は省くけれど、
とても濃い時間を過ごすことができた。上高地は永遠の、思い出の場所だ。
冬に戻ってきたあと、浅草ビューホテルに配属となる。その後2か月ほどで
退職してしまうわけだが、この当時に覚えたことが今に役立っているのだ。

店のお客様にはブライダルの撮影をしているカメラマンも多く、話を伺うと、
デジタルになっての苦労は、当時とは別のところで変わっていないようだ。
ちなみに、平成元年〜2年にかけて、浅草ビューホテルで成人式の写真を
撮ったという人がいたら。その写真の仕上げを担当したのはワタシである。

写真はかみね動物園の人気者、きぼうくん。またまた、立派になりました。
佐藤写真の頃_b0016600_2256107.jpg

(7D/EF600mmf4L)
by keiji_takayama | 2015-03-29 22:56 | かみね動物園

いつもは中古カメラ店でカメラやレンズを売ってます。休日になると、望遠レンズを担いで各地の動物園や闘牛場で撮影活動。動物たちの表情を追い続け16年が経過しました。旅行会社で撮影ツアー講師を務めています。


by keiji_takayama